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私の隠れ家です。引っ越し中(一部はBLOGに移行しています)

 

チーム・バチスタの栄光 海堂 尊 宝島社
何事も中断すればそれはそれでいいんですが、はじめるとついついのめり込むことになるようで、医療過誤か殺人かという帯に惹かれ購入してしまいました。ミステリーとしては動機がいまいちですが、大変な傑作だと思うのは医療関係者だけではないでしょう。登場人物がきわめて個性的でよく描かれているのがその第一因と思います。ですから読者はその場にいるような気がしてくる、次作も楽しみ。この作者、もう医者をやめてもいいんでしょうねぇ、うらやましい。06−4
   
讃歌 篠田節子 朝日新聞社
雑用が増えてすっかり読書離れをしてしまったけれど天才少女バイオリニスト、、、、という帯に惹かれ購入した。挫折した天才がメディアに乗って奇跡の復活を遂げる、が背後には怪しげな業界の画策、、、音楽の価値観云々の書評があったが、ちょっとしたしゃれた推理小説として読めばいい。別に、バイオリニストでなくてもゴルファーでも作家でも良いだろう。気になったのは、現存の演奏家のお名前が出てくること、ご本人はご存じ、了承されているのかしら。06−4
もう十数年前になろうか、チャイコフスキーコンクール優勝者D.ゲリンガスが新居浜でリサイタルを開いた。が、事務所の手違いで当日は今治公演と宣伝されていて、なんと観客は私を入れて2名だった。しかし、いかにもまじめそうな彼はきちんと予定どおりの曲目を弾いてくれた上、伴奏者とともに食事まで誘ってくれた。ちょっと見にくいけれど、その時サインしてもらったのがこのCD、忘れられない一枚である。
子盗り 海月ルイ 文藝春秋
 帯には、望んでも産めない女、子どもを奪われた女、母親になれないのに執着する女、三人の女たちの情念が交錯する、、、とあれば、読まないわけにはいない。冒頭から、とあるレディースクリニックの駐車場に忍び寄る妊婦のかっこうをした女の登場、排卵誘発剤、体外受精、流産、、、と続けばもうページをめくるのを止めるわけにはいかない。京都郊外の旧家を舞台にした「家」を継ぐという今でも重たく、ねばねばしたいテーマが背景に流れる。
 
赤い月 上下 なかにし礼
 流行作詞家としてしか知らなかった作者ですが、ひょんなことから読んでしまいましたが、感動しました。一言で言えば、満州事変から、まさに日本が第二次大戦へ突入していった悪夢のような暗黒時代を少女として、妻として、母として生き抜いた女性の波瀾万丈の生涯を描く一大スペクタクル。この時代が要請した子育ては、なんと過酷であったことか、おそらく実体験に基づく部分が多いと思われるリアルな作品です。

「おまえに」や「今日でお別れ」なんて久しぶりにじっくりとく歌いに行ってみましょうか。

J.Sバッハ無伴奏チェロ組曲 M.ロストロポービッチ EMI1992
チェロ演奏家は急速に増え、多士済々だが、巨匠といえばこの人M.ロストロポービッチ、しかしなぜか、チェロ音楽の旧約聖書と呼ばれるバッハの無伴奏はおそらく1960年代のモスクワでの録音、それも2,5番しか聞けなかった。が、1992年、やっと全曲新録音され、同時に本人による演奏解説付きLDも出て、我々を狂喜させたのだ。旧盤の、堂々たる演奏に比べ、かなりバロック的な奏法は彼自身の年齢から来る解釈か、時代の流れか定かではないが全曲を聴くことができた喜びはたとえようがない。
日本子ども資料年鑑KTC 中央出版
およそ子どものことに関する統計資料は網羅されている。人口動態、家族・家庭、保健・医療、栄養・食生活子どもの生活文化・意識、教育、福祉、問題行動などなど、学力国際比較、お年玉の年次推移や、多い名前、読んでいる本ベストテンなどなど、今年からCD-ROもついた。PDFファイル形式で、EXELL,WORDでも出力でき、表など自由に加工できる。医療、教育、福祉関係者必携、質問箱の回答も多彩になるかも、、、、。
J.Sバッハ無伴奏チェロ組曲 M.マイスキー DG1999
チェロ好きにとってこの曲は何度聞いても(弾いても)飽きることはない。練習曲のようでもあり、幻想曲でもあり、バラードとも言える。マイスキーは1985年にすでに全曲盤を出しているが、わずか14年後に再録音したのがこの盤。ぐっと自制されたその変化は加齢によるものだけではなさそう。PLUSCOREというボーナスが付いていてパソコンで再生すると、楽譜と演奏箇所が示される。
1985年版の解説書にもらったサイン。解説者は不安げで暗く、静かで優しく、暗い抒情の起伏、屈折した瞑想、、、、といった言葉を連ねているが自由奔放な、ロマンティックな演奏だと思う。
インターネット的 糸井重里PHP選書161 2001
IT不況といわれる今、なぜ?の答えはここにあるのではないか。そもそも、インターネットによって内職代わりに儲けよう、一攫千金eコマースなどというだまされやすい人々には、確かに当てはずれかもしれないが、インターネットでつながっていることをリンク、シェア、フラットと規定する著者のたおやかな感性を理解できれば、そこにある無限の可能性、楽しみがわかってくるはずです。意図に反し、どうしてもしかたがないけれど、ちょっと力が入りすぎた章もありますが、実にインターネット的書物に違いありません。
ムソルグスキー展覧会の絵 他長谷川陽子 Mika vayrynen 2001
陽子さんの最新盤、確かに展覧会の絵は、富田勲がシンセサイザーで、ロックバンドELPが分厚いロックに仕上げたりしたが、そもそもラベルのオーケストラ編曲の壮麗なサウンドイメージを拭い去ることができず、それを1本のチェロとアコーデオンで弾こうという発想は思いもよらぬもの、原曲のもつロシア的物悲しさがみごとに再現されている。テャイコフスキーのアンダンテカンタービレなどロシアの小品も同時に収録されている。秀逸。
健康観にみる近代 鹿野政直 朝日選書 2001
明治以降、近代の日本健康観を駆け足で俯瞰して見せてくれる好著。健康ブームといわれて久しい今日、そこに至るまでの流れを知っておくことは、育児に携わるものにとって無駄ではあるまい。富国強兵の時代の「雑婚論」、産業革命時の伝染病予防および消毒方法、主婦の友発刊の背景としての日常薬の普及「生を資ける資生堂のポスター、健康優良児表彰の背景、など見ても興味深い資料も多く、最終的には今日的課題、延命医療、介護、環境ホルモン、バイオエシックス、切れる子どもたちにまで言及する。
シューベルト SONGS WITHOUT WORDS M..MAISKY
すでに書きましたがマイスキーに岩国の演奏会のあと「歌曲」の編曲、演奏を依頼しました。そしてブラームスに続きシューベルトがリリースされました。アルペジオーネ・ソナタはアルゲリッチとの名盤がすでにありますが、「冬の旅」「白鳥の歌」から数曲、孤独な男、万霊節の連祷君こそは憩いなど、思いがけない名曲がチェロレパートリーに加わったわけです。編曲にあたり、シューベルトは600曲ほど聞き候補に約30曲、実際録音したのは14曲とか、まだ出てきそうです。
親と子ーアメリカ・ソ連・日本ー 服部祥子 新潮選書 1996
 日頃このての本は読まない阪大で精神神経学を学び、大阪府立、、児童精神衛生課長を経て、、現在は大阪府立看護大教授で、妻で母親でと肩書きを見るととても私には難しくってと思って及び腰になるのだ。さにあらず。小児科医が読めばその辺の育児書がいかにも軽く見えるし、詩や、俳句もちりばめられた  一級の文学書でもあるのです。それにしてもR.フロストの詩  「行かなかった道」はいいな。
R.シューマン チェロ協奏曲他 S.イッサーリス BMG 1996
 現役チェリストはいまかってないほど人材が豊富だ。大御所ロストロポビッチ、マイスキー、マ、シフ、ビルスマ、等々あげればきりがない。その中でイッサーリスはイギリス期待の若手、ガット弦を愛用しその音色は豊かで柔らかい。しかし、その演奏ぶりは情熱的で音楽に耽溺していく。  1995年11月松山でチャイコフスキーのロココ変奏曲を弾いたがBBCウエールズ響の深い色合いに支えられ忘れられない印象を残した。
室の梅 おろく医者覚え帖 宇江佐 真理 講談社 1998
 実は、この手の本もほとんど読まない。時代物と聞いただけで敬遠してきた。題名が奇異だったのでつい買ってしまっただけだ。奉行所検屍役という仕事があったらしい。その辺の説明もある。ベストセラー女性検屍官K.スカーペッタシリーズとは対極にある人情小話である。活躍するのは産婆でもあるその女房とくる。暴力も、セックスも、ホラーも、ハイテクもなくても読ませる一冊。題名由来は最後にわかります。
J.S.バッハ 無伴奏チェロ組曲 P.フルニエ ADDA 1959
 今はもうほとんどチェロしか聴かない。そしてチェロといえば行き着くところがこの6曲の組曲。手元には古今の名チェリストたちが挑戦したCD(LPも含め)21組がある。たとえば今バックにはおなじみYO-YO MAの淀みない演奏が流れている。ぼくが最も愛する演奏1枚といわれればこのフルニエをあげるのだが、理由はチェロのプリンスと呼ばれ必ず端正、気品、高潔さといった言葉で評される彼の、燃えるような激しさを伝えた別人の様なライブ録音だから。
医者が患者をだますとき R.メンデルソン 草思社 1997
 帯に「あなた、病院に行くと病気になりますよ!」とあり、原題はConfessions,,,,で、著者はイリノイ州立大学医学部準教授、国際母乳連盟医学顧問などを歴任した小児科医らしい。健康診断は儀式である、病原菌だらけの病院、いんちきな医学研究、予防接種に警戒せよ、、と手厳しい。たしかにこういうスタンスを忘れてはならないし、事実も多々ある。しかし、20年前に出版された故人の本が今なぜという疑問は残る。それにしても自虐的過ぎはしないか。
J.ブラームス Songs without Words M.マイスキー DG1996
 当代随一の人気者マイスキーによるブラームスの歌曲集、既にシューベルトの歌曲編曲にも力を入れており、レパートリーの比較的限られたチェロの世界を切り開くものと注目されている。チェロ本来の歌う魅力を臆面もなく!歌いまくるところにこの人の面目躍如たるところがあり、とりわけ喜びにあふれた演奏になっている。シューマン、R.シュトラウス、 メンデルスゾーン、ラフマニノフなどへのリクエストは既にしてあります。詳細はリンク集から。
ぼくに「老後」がくる前に 永井明 飛鳥新社 1999
 この本が送られてきた時、どうせまた編集者に美味いものでも食わされ、うまく乗せられたなと思った。彼、永井明は1988年に「ぼくが医者をやめた理由」で事実上の文壇デビューを果たし、これが結構なベストセラーになり、「看護婦 ヒロタの場合」「ブラックジャックにはなれないけれど」等々小説や、ルポという形式で今日の医療状況を揶揄し続けている。これは、本人が膝や手首に重りをつけ、耳栓をして81歳の老婆になりきっての会心の、のりのりレポート。
S.ラフマニノフ チェロソナタ 長谷川陽子 Victer 1993
 昨年1月28日松山市でのリサイタルの時にサインをいただいた思い出深いCD。7日に右足関節を骨折した時、3番目くらいに脳裏をかすめたことはこの演奏会に行けなくなるのでは、という危惧だった。幸い車椅子でたどり着くまでに回復し、’91年の宇和島での思い出など歓談できた。ラフマニノフのソナタは彼らしい豊穣なメロデイに満ちた傑作。陽子さんの演奏はいつもどうり大きなスケールで自信に満ちたすばらしいもの。
永遠の仔(上、下) 天童 荒太 幻冬舎 1999
 このところずーっとベストセラー上位を維持している。小児精神医学、あるいは児童心理学的にいえば、虐待、暴力をふるう親は、その幼児期に同じ環境にあったという定説を背景にした子供たちの物語である。実は、私自身1995年に「母となった娘たち」と題する幼児虐待をテーマとした小説を連載した(月刊太陽)。J.ケラーマンの小児精神科医アレックスを主人公にしたシリーズでは先だってのデンバーでの学校襲撃事件を予見させる「TIME BOMB」という一冊があった。親子の絆はよきにつけ悪しきにつけこれほど強いものとすれば、、、、、。
E.エルガー チェロ協奏曲 J.デユ. プレ EMI
 チェロ好きにとって記念碑的名曲、名演奏。進行性多発性硬化症で42歳の若さで亡くなった天才女流チェリスト、デユ プレのこの演奏はこの曲の真価を一気に高めた。「時の秋」を思わせる哀感に満ちたこの曲はおそらくあらゆるジャンルの楽曲の中でも今世紀最高の傑作と言っていいだろう。夫バレンボイムらとのLDで見る彼女の演奏は、音楽に没入しきった情熱的なものだが、病に冒されながら生徒にフィンガリングを指導する姿は悲しすぎる。
オルガニスト 山之口洋 新潮社 1998
 いわゆる音楽ミステリー、前半は秀逸、バッハのオルガン曲を流しながら読むといい。後半はSF、好みが分かれよう。音楽ミステリーをいくつか紹介しておこう。

「死のフェニーチェ劇場」「死のシンフォニー」「マエストロ」「死のアリア」「ボリスは来なかった」「カデイスの赤い星」「神宿る手」ただし、海外ミステリーには要所要所に作家好みのクラシックが散りばめられているので注目しながら読むといい。

ドボルザーク チェロ協奏曲 M.ロストロポーヴイッチ 1985
 現代チェロ界の大御所M.ロストロポーヴイッチの7回目の録音であり、これを最後にすると宣言したいわくつきのCD。ある意味でチェロのレパートリーの最高峰だけに、それまでの録音に幾ばくかの不満が残っていたのだろうが、一度も録音のできないチェリストがほとんどであることを考えれば、彼ならでは。なにをとっても巧すぎる彼しか味わえない世界かもしれない。最近やっと枯れたかなと思わせたのがバッハの無伴奏だったが、枯れた彼なんてという意見も。
柔らかな頬 桐野夏生 講談社1999 
 読み終えてまもなく、直木賞受賞作品に決定した。同時に発表のはずの芥川賞は、該当作品なし。私は、芥川賞でもよかったのではないかと思っている。内容的にも、幼女失踪をテーマとした単純なミステリー小説ではなく、主人公の心の漂流をねばり強く描いている。純文学不毛の今日、選考基準を見直してはどうか。ただ、既出の「永遠の仔」長すぎるからといってがはずれたのはどうか?どちらかが分け合ってもよっかたと思う。いずれも母、子が主題というのも、、、、、、、。
J.S.バッハ無伴奏チェロ組曲 長谷川陽子 1999
 このコーナーに二度登場する最初の演奏家になった。この曲については、P.フルニエを推奨してきたが、長谷川陽子の演奏はある意味で対極にあたるかもしれない。たおやかで、悠然としたいかにも彼女の特質が現れたもので、バッハだからという気負いも感じられない。’91年の宇和島リサイタルでは3番を弾いたが一部難所の指使いを教わったことがある。彼女は決して大柄ではないが、指は長く大変しなやかなのに驚いた。演奏のゆとりにはそうした要素もある。難をいえば、やや一本調子か。
精神科医の子育て論 服部祥子 新潮選書
このページの最初にご紹介した「親と子、、、」の6年後に書かれた続編である。冒頭、映画「レインマン」の感動が語られ、自閉症の兄と、若手実業家の弟を対比して、心壊れざる者と、心壊れし者とし、自閉症という障害児の極めて困難を要する育児の中に、失われつつある本来の育児の在り方を見いだそうという一つのテーマが提示される。そして、根底に流れるテーマは前作でも追求された今日の日本の思春期世代の「うつろさ」の背景探しである。重い内容ながら、あいかわらず文章は端正で平易。
RON CARTER PLAYS BACH PHILIPS 1985
J.S.BACHの無伴奏チェロ組曲が、無伴奏故ある意味で音楽の一つの原点ならば、誰しもトライしたいはずでありチェロ以外の奏者でも当然であろう。たまたまここではジャズベーシストR.CARTERをとりあげたが、清水靖晃はサキソフォンで不思議な空間を提示した(TVのCMで耳にされた方も多いかと)、崎元によるハモニカでの演奏は、これはまた哀愁を帯びた絶品で、藤井香織のフルートも妖艶な魅力を与え、あらためてバッハの無伴奏の無限さを実感させる。
子どものトラウマ 西澤哲 講談社現代新書
家庭という閉鎖された空間でおこなわれる子どもの虐待が、学校や社会での暴力、非行、子育ての中で我が子を虐待してしまう母親の行動から、その遠因として注目を集めている。この本は、虐待の定義、様々な、単に肉体的、身体的虐待のみならず、ネルレクト、性的虐待、心理的虐待など、場合によっては気づくことさえなく子どもの心に与える傷害(トラウマ)についての基本的な知識を与えてくれる。トラウマを抱えて子どもたちがどう生きていくのか、いかにそれを癒していくか、同シリーズのユング、フロイト等と会わせ理解していきたい。
J.S.バッハ無伴奏チェロ組曲 今井信子1999
ビオラの名手、今井信子は先頃全曲リリースし、チェロにない透明感を持った素晴らしい魅力を示した。先のフルート、ハモニカ、サックスなど、意表をついた表現は不可能で、かつチェロの持つ深みを望めないとなると、この控えめな楽器での挑戦は、よほどの確信がないと魅力に乏しいものに終わってしまいそうだが、むしろポリフォニックな響きを排し、荒涼とした厳しい世界を描き出した。古くはギターで多くの奏者が試みてきた枯れた味わいも堪能できる。
THE CLINIC J.ケラーマン 新潮文庫 1996
著者は小児心理医として臨床に携わりつつ、小児心理医A.デラウエア、LA市警はぐれ刑事マイロのコンビが活躍するシリーズ物を書き続け、これは10作目にあたる。背景には常に幼児虐待があるといっていい。迷宮入りしかけた心理学教授ホープ殺害事件を追って、過激なフェミニストであった彼女の生い立ちを丹念に描きながら、小児期のトラウマがいかにその後の生き様に影を落とし,捻れた形であらたな虐待を生んでいったかを浮き彫りにし、犯人に迫っていく。本作には違法堕胎、不妊治療、臓器売買もからみシリーズの中でも怪しげな医療現場にもっとも密着した作品。
ロマンティック チェロ Nina Kotova 1999
特に推薦するわけではない。松山公演の際ロビーで購入したもの。ずっと表現に深みの出たその時の公演のおよそ1年半前に録音されており、初CDということもあり、表現は慎重でやや平坦。ただ、ヴォカリーズ、チャコフスキーの夜想曲、フォーレのエレジーなどすべてバックはオーケストラということと、コトワ自身の曲も含め、チェロで聴くのは初めてというグラズノフの間奏曲なども含まれているのが、コレクターとしては嬉しい。
母性の復権 林道義 中公新書 1999
著者は東京女子大学教授、日本ユング協会会長という肩書きを持つ。母性は本能レベルで崩壊しつつあると説き、その復権を訴える。母性が社会的、歴史的に作られた物とし、いわゆる「母性神話悪玉説」を真っ向から批判し、「三歳児神話」にはそれなりの科学的根拠があり、「十分に良い母」によって十分な期間育てられるべきと言う。臨床現場でもたしかに母は変わった。痙攣を起こしている我が子を抱きしめ、なりふり構わず飛び込んでくることもなくなったし、異物を飲み胃洗浄を受ける我が子に対し、オロオロになって涙を流し謝る姿も見かけなくなった。難しい議論はともかく、母性はたしかに変容しつつあるのは事実。
Bis Celebres 藤原真理 DENON1980
チェロのレパートリーには、編曲ものも含めロマンティックな小品がたくさんあり、多くの演奏家がさまざまな組み合わせで録音している。藤原真理はいうまでもなく日本のトップチェリストだが、以前カザルスホールで「白鳥」の最後の数小節を失念しました。その後松山に来られた際、僕はその場にいました、プロでもそういうことってあるんですねとお話ししたら「いや〜あの場にいらしてたんです?めったにないことですよ」実は伴奏者の楽譜が風で揺れ、頭で抑えながら弾いていて会場がざわついていたんです。彼女は当然わかりませんから、集中できなかったんでしょうね。
SNOW FALLING ON CADARS  D.GUTTERSON  1994
育児とは直接関係ありませんが、ミステリー好きとして是非。邦題は「殺人容疑」ですがもうちょっと考えてほしかった。第二次大戦後アメリカ、シアトル近郊の小島で起きた、漁師の死因をめぐるミステリー小説ではあるが、当時,米国人として戦った日系人の傷ついた魂を描く歴史小説であり、アメリカ人との間に芽生えた恋愛小説であり、重厚な法廷小説であり、それらをすべて洗い流すかのような厳しく、美しい自然の描写はとりわけ圧巻。ほとんど「老人と海」に匹敵する、人の絆と孤独を問う作品とまで言ってはいいすぎだろうか?
SOUL OF THE TANGO YO-YO MA 1997
この人の才能は、従来のチェロのレパートリーの枠内にはとどまりきれない。通常、こういう人は指揮に手を出すのだが、幸いにも彼は、あくまでチェロの地平を開拓しようとする。玉三郎とのコラボレーションも話題を集めたが、もっとも成功した?売れたCDはこの一枚だろう。アルゼンチンタンゴの鬼才ピアソラの作品に熱中し、そのむせぶような、哀愁漂う、あるいは妖艶な世界へ我々を引きずり込んでくれた。
BLACK NOTICE P.D.CORNWELL 1999
1990年の「検屍官」から始まって、本作で、すでに10冊になったベストセラーシリーズ。かっこいい女性検屍官(Chief Medical Examiner)と、しがない刑事のコンビがアメリカの病巣をえぐり出す。ハッカー犯罪、ストーカー殺人、連続強姦事件、カルト、、、日本の一歩先を行くさまざまな犯罪に、DNA鑑定など最先端の科学捜査で迫る。作者は両親が離婚、本人も離婚歴がある。犯罪担当記者を経て現実にバージニア検屍局で、コンピュータープログラマーとして勤務していただけに、描写は精密でリアル。一方、料理好きでもあり、随所に美味しそうなものを作ってみせる。
BARBER/BRITTEN チェロ協奏曲 YO-YO MA
チェロ演奏家で天才といえばこの人、超絶技巧の持ち主でもあり、あらゆる分野で活躍しているから、クラシックファン以外にもよく知られている。ただ、あまりのうまさに技に溺れる傾向がないとは言えない。最近は、ジャズや民族音楽とのコラボレーションも盛ん、シルクロード演奏団を率いてNHKのテーマ音楽を担当したりしている。バーバー、ブリテンの協奏曲は、現代音楽のなかでも出色の作品。
著者が41歳の若さで、ガンに冒され、この作品を最後に死亡したこと以外に、医学とは関係ない。音楽歴史ミステリーとあるが、ロッシーニや、モーツァルトのアリアがあちこちで歌われること、主人公がピアノの名手であること、舞台となる北イタリアの館の持ち主がオペラ狂で歌手たちのパトロンという設定以外、純粋な犯人探しの推理小説。当時のオーストリア周辺の政治状況を背景に、豪華絢爛華麗な時代絵巻がくり広げられるが、どこかの国のものと違って、けっして軽薄、荒唐無稽にならない。大いに楽しめます。
A CONCERT AT THE WHITE HOUSE CASALS 1961
1961時のケネディ大統領に招かれホワイトハウスで演奏したいろいろな意味で貴重なドキュメント。近代チェロを語る上で欠かすことの出来ないP.カザルスの膨大な録音のなかでも異色。世界平和を希求していた彼は、「鳥の歌」をこの演奏会でも最後に弾いているが、85歳になった巨匠は気迫あふれたうめき声も収録されており、まさに鬼気迫る演奏といえよう。この席には、バーンスタイン、ストコフスキー、コープランドなども招かれていたという。
およそ1年前(2000/7)に上梓され話題を集めた村上龍の新作。ちょうど今頃から2008年までを見通した近未来小説。日本には何でもある、希望以外は、と言い置いて中学生が集団不登校し、ネットを駆使して既存政財界、教育、メディア蹂躙、席巻していく様は痛快ですが、あまりにありそうなことだったのでしばらく読後感を書かずにいました。ここへ来て、ポンちゃんと小泉君をダブらせてみると、何か良いことが起きないかなーなんて気がして国会討論を真剣に見たりしています。(30 MAY 01)

 

 

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