小児科医が変わらなくてはならない
宇和島市医師会 桑折紀昭 (No769 2000 10愛媛県医師会報掲載)paper1
「はじめに」
少子高齢化が、この国の形をどう変えていくかは別の議論として、現在行われている少子化対策は
必ずしも当を得ていないことは、結果が出ないことで明らかと言っていい。いわゆる箱ものを作ることは、
お役所の考える安易な常套手段であるが、加えて従来の保育所の機能拡大、駅前保育所の新設、保育所の
規制緩和、などが有効でないばかりか、様々な危険すら内包する施策であることはすでに各方面から
指摘されてきた。そもそも、少子化の背景には、晩婚化(自由を手放したくない)、結婚しない(仕事と両立しない)、
少産化、子供を作らないというある種の文化的変容があるわけで、決して経済的理由によるものではなく、
むしろ経済的に豊かになるに従って進行する現象であることは、先進諸国がすでに経験済みであり、
社会保障等に莫大な予算をつぎ 込んでも微々たる効果しか上げていないのも既知のことである。
「変わってしまった育児環境」
ある種の文化的変容とは、既成の価値観の崩壊であり、日本に限っていうならば、儒教的先祖崇拝、
子孫繁栄、家の繁栄を願う古来の伝統そのものの崩壊であり、それは明らかに戦後の経済繁栄一辺倒の
国の姿勢がもたらせたものであり、当然の帰結として、人々は経済的豊かさを求め 土地を離れ、家を捨て、
家族とすら別れた生活を甘受、いや選択してきたといえる。子供が、家を継ぎ、墓を守り、あるいは働き手として、
あるいは地域共同体の担い手として、まさに宝として迎えられた時代が終わったといえる。
とすれば、子供とは?ということを考えたとき、種の保存という本能的営為、あるいは単なる愛の結晶の結果
以外の何かをそこに求めうる存在であろうか。まして、人間は種の保存ということはあまり考えていないとされる。
ともあれ、育児行為を、あるいはその中心となる躾、教育をどのように考えていけばいいかという問題を
避けてとおるわけにはいかない。小児科では、「子は親の鏡」あるいは「育児は育自」なる語呂合わせがあり、
親に何となく育児の意義を説くのに使われてきたが、共通の価値観が失われたとき、そこには何の意味もない。
「子供を育てる魔法の言葉」などという本がベストセラーになったり、「イソップ」を逆説的に読むようになったのに
は、そうした社会的背景があるのである。
「我々を取り巻く状況」
我々小児科医は、近年の小児疾患の軽症化に伴う疾病構造の変化、予防接種事業の個別化、健診の委託
個別化に伴い、その仕事内容は著しく変化し、外来でも育児相談的作業が増えてきている。出版される関連図書
にも育児を主眼とした内容のものが多く見受けられるようになってきた。一方、多くの理解を超える少年犯罪、
不登校、学級崩壊、いじめ、等が社会問題化し、首相の諮問機関「教育改革国民会議」の報告書原案が
発表された。「満18歳のすべての国民に1年の奉仕期間を義務付ける」ことを明記するなど、興味深い内容を
含んでいるが、家庭におけるしつけ3原則、というようなものもあり看過するわけにはいかないし、ついでに
育児3原則なるものも提起していただきたかったが、先に述べた既成の価値観の崩壊をまのあたりにして、
果たして育児、躾、教育なるものがある社会規範に沿ったものとして成り立ちうるであろうか。
「親・大人社会に従う、あるいは順化する」というニュアンスを含んでいる育児、家庭における躾、学校での教育に
関して、無限に拡大しつつあるといえる選択肢、規範、価値観のなかで、ただ、疾病治療に専念せざるを
得なかった従来の小児科医のあり方をどう適応させていくべきか模索が続いている。
「国の対応と外来小児科医」
一方、国は新エンゼルプラン(少子化対策推進基本方針に基づき策定された具体的実施策)として、
出生前小児保健指導事業(プレネィタルビジット)、乳幼児健康 支援一時預かり事業、地域子育てセンター事業
などを推進しているが、様々な制約があり必ずしも実効があがっているとは言い難い。その他、成育センター、
小児救急医療支援体制、周産期医療ネットワーク構築等の整備、不妊専門相談、児童虐待防止法など関連プラン
は目白押しといえる。こうした施策のなかで、外来小児科医がもっとも関わりやすく、かつ取り組まなければ
ならない問題は、病児保育(乳幼児健康支援一時預かり事業)、プレネィタルビジット、ならびに虐待防止、
あるいは予防であろう。乳幼児健康支援一時預かり事業は、各種保育所の増設、機能拡大、ベビーシッター、
派遣型保育と、無原則に進められる他人に依存した育児方式の陥穽を埋めるために、どうしてもなくてはならない
事業であるが、その意義は軽視されがちで必ずしも順調に展開していない。しかしながら、集団保育では、
必ず各種感染症の洗礼を受けるものであり、入院などを必要としないまでも、責任を持った保護施設がないと、
母親の 就労、職場復帰は度重なる子供の不調という予想外の事態の前にあえなく頓挫してしまう。
乳幼児健康支援一時預かりは、すべての保育事業と連携をはかりつつ、それらの鍵を握る事業と位置付けられる
べきであろう。本来、労働省が深く関わるべき問題であり、省庁再編で何らかの新たな動きが出てくることを
期待したい。
プレネィタルビジットは、出産前から、産科医と連携を保ちつつ、産まれてくる子供への接し方を小児科医が
中心となって指導していこうという事業である。病院での出産が増加する以前は助産婦を中心に行われていた
きめ細かい出産前の指導を、また産後の母体のケアにくわえ、新生児の扱いについて、さらに小児のおもだった
疾患などについて、予備知識を与え不安を軽減しようという試みである。優生保護法とのからみで望まない妊娠、
出産等、さらにはSTD,ウィルスの母子感染、など関連分野は多い。
児童虐待は、認識の深まりとともに、件数は全国的に増加し、今年上半期で傷害 事件は約3倍と大きな
社会問題となっているが、対応はやはり必ずしもうまくいっていない。虐待には様々な形態があること、
躾と犯罪の狭間にあって、虐待と認知されにくく、いったんおきてしまうと関係部署も多岐にわたり、ある意味で
たらい回し状態、責任の転嫁が起きているからである。小児科医は、その芽を摘むべき立場にあり、早期に気づき、虐待傾向を察知し、
虐待に至らないよう指導できるはずではあるが、従来型の外来診療体制ではその芽に気づくことは難しい。
虐待には、身体的虐待、心理的虐待、性的虐待、ネグレクトなどがあげられるが、小児科医が関わりうるとすれば、
心理的虐待、ネグレクトといった分野であろう。表情、発達、発育、衣服などの状態から推測可能だからである。
従来いわれた、愛情遮断症候群も含まれる。ただ、芽に気づくには、虐待を起こしやすいリスクファクターを知っておかなくてはならない。
詳細は小児科医会で作成予定の「虐待予防パンフレット」、あるいは専門書を参考にしていただきたいが、たとえは、母親の年齢、
早期の離婚、出産歴(極低出生体重児、双胎など)、予防接種がきちんとなされているか、健診を受けているか、通常の疾患の経過を
きちんと話せるか、そこに一貫性があるか、などはごく普通の予診、診察でも知りうる情報である。あまりに頻繁な診察、電話なども
親の適切な養護能力を疑うサインでもある。
「ネットへの参入」
あるアンケートによると、東名阪の主婦の60%以上が自分の使えるPCを持っており、残りの1/3も、近く購入したいと思っているという。
子供、育児、子育てといったキーワードから、無数の子育て日記、あるいは奮闘記、体験記といったHPを 閲覧することができる。
なかには、掲示板、チャットを備え、お互いに子育ての楽しみ、苦労を語り合っている。まさにネット井戸端会議が花開いている。
一方、私のものも含め、多くの小児科医がネット上で相談可能なサイトを開設している。そしてそこにはありとあらゆる質問が
飛び込んで来ている。その多くは、育児不安に基づくものであり、簡単な示唆によって解決され大変喜ばれ、インターネットを介した
このような育児相談が一つの支援の形として定着していくであろうという予感を得ている。要するに、病院へ行けばいいのであるが、
こんな事で病院へ行くべきかどうか、病院へ行くには行ったが、聞きたいことが聞けなかった、聞くには聞いたがよくわからなかった、
わかったが、納得いかなかった、セカンドオピニオンが欲しい。こうしたことが解決できず、さまざまな育児情報(書籍、新聞、テレビ等)に
すがろうとしても、それらはその性格上一般的かつ網羅的で、きわめて個別的な悩みに対して余計な不安をかき立てることはあっても、
ぴったりの回答を与えることができず、まさに情報の洪水のなかで小舟のごとく揺れ動いているわけで、この孤独な頼りない状況が
育児不安、育児への疲れ、悩みへ、さらに、育児遺棄、虐待へと進展してしまう。先に述べた、母親たちのネットワークに小児科医として
専門的立場から乗り入れることは、大きな可能性を秘めている。
メール相談の利点はいわゆる電話医療(Telephone MedicineあるいはAdvice)と比較することによってより明確になる。
@ まず、時間的制約を受けない。相談者も十分考え抜いて文章化できるし、受け取る側も、そもそも緊急な相談を想定していないから、
手のあいたときに、場合によっては文献をチェックしたり、もっと必要な情報を再度送るよう指示したうえでオーダーメイドの回答ができる。
そもそも、電話では個人で24時間対応は不可能であり、電話にでれないこと、あるいは電話でのみの指示自体、診療 拒否ととられうる
恐怖が存在する。
A電話医療は、ともすればカルテへの記載がおろそかになったり、忘れてしまう。勿論、相談者自身、相談内容を手元に残すことは
考えられない。一方、電子メールのやりとりは自動的にハード内に残り、勿論いつでもプリントアウトできる。場合によっては、
画像、音声を 添付することも可能である。
B 先に、医療は個人的なこととしたが、相談内容は当然、ある種の共通点が浮かび上がり、データベース化しておくと、相手の名前、
ちょっとした年齢の差などを差し替えるだけで、迅速、かつ個人的な,さらにそのたびに加筆、修正を加えていくことによって、
より進化した回答を用意できる。
C 現状では、電話相談は、電話再診料を請求可能で、独立した保険医療行為と認められているが、電子メールによるやりとりは
双方ハンドルネームでも可能であり、責任のない、しかしながらある種のモラルとルールのもとに成り立つSocial welfareactivities と
考えている。私自身、セカンドオピニオンとして受け止めてもらえれば、無益な行為にはならないと思っている。
私のHPから見えてきたことは
@ 従来型の一般外来ではなかなか相談できない些細な,あるいは質問しづらい内容が多く、小児科医自身にとってもあらためて
勉強し直す必要性に迫られている。
A 時間帯は深夜に集中し、これは接続料金の問題もあるが、仕事、家事に一段落し、子供の様子をあらためて見直し、
考える時間帯と思われる。ただ、朝から夕刻にかけてもコンスタントに相談があり、これはこどもの問題を扱っているという
特殊な事情かもしれない。
B とりあえず、ネット普及地域である東名阪から質問が主になるであろうと思われたが、近くに小児科がない僻地からも 少なくなく、
先に述べたPCの普及度を裏付けた。また、コミュニケーションのとりにくい海外からも寄せられた。
C 対象年齢は圧倒的に0歳児であり、3カ月以下の「育児に慣れない時期」の悩みが多く、早期育児への対応がいかに
求められているかを知った。哺乳に関すること、便に関すること、睡眠のトラブル、泣くこと、発育、行動、同時に、やや年長児では、
外来ではあまり相談としてのぼってこない「ソフトサイン」あるいは「グレーゾーン」、すなわち、発達上の疑問、くせ(指しゃぶり、爪噛み、
歯ぎしり、おしゃぶり、)、しつけ、多動、夜尿、自慰行為、各種アレルギー、時期を逃したり、基礎疾患を有する子供の予防接種、
なかには、夫婦が子供とベッドをともにすること、ベッドの種類?海外旅行へ連れて行くにあたっての注意、ペットとの暮らし方、
プールデビュー、公園デビュー、など日常生活上の疑問、迷いから、叩いてしまった、愛せない、妊娠中にした事への悔悛、
望まない妊娠まで、いわゆる「虐待の芽」とみるべき相談も含まれ、多岐にわたっている。孤独な子育てに悩み、46,7%の母親が
育児の悩み、疲れから虐待に走ったといわれる。いいかえれば、いかに医師、看護婦、保健婦、保母、周囲の関係者が
従来のパターンでの日常業務では、十分な対応ができていないかの証左といえよう。
詳細は愛媛県小児科医会報39号を参照されたい。
「おわりに」
少子化問題に対策はないといわれるようになった今日、さらに開業、勤務小児科医の20%そこそこしか小児科医の未来に
期待をもてないと感じている状況のなかで、我々がが関わりうる課題と、一つの方法論としての「メールによる育児支援」の
可能性について述べた。
「参考資料」
外来小児科Vol.1-1&2 Vol.2-1/日本小児科医会報第19号/日本医師会雑誌124巻4号/愛媛県医師会報第754号
Pediatric Telephone Advice Second Edition B.D.Schmitt/Medical TribuneVol.33 No.20/小児科Vol.41 No.4
ASAHI Medical 2000 April/SAHI Medical 2000 June/愛媛県小児科医会報39号(予定)