巻頭言 軸のぶれない予防接種行政を 愛媛県小児科医会報(2005年秋号)
愛媛県小児科医会理事 桑折 紀昭
先日、何人かの若手小児科医と一杯飲みながら話す機会がありました。
私の息子と言っていいほど年の差があり、失礼かと思いながら「麻しん、風しん見たことある?」とお尋ねした
ところ、「まだ一度も」という返事でした。今の子どもたちの保護者はもとより、医療関係者、行政官の多くもそうした
世代が主流になりつつあるものと考えられます。
それにしても、このところのワクチン行政のふらつきはいったい何なのでしょう。ちょっと思い起こすだけでも、
もう5年前になりますが、ポリオワクチンの突然の中止事件がありました。まさにポリオを接種している会場に
メディア情報が流れ、急遽中止となった記憶は忘れがたいものです。ポリオワクチン投与後に発生した健康被害
(疑い)に関し、「ポリオ接種後死亡」と大々的に報じられ、厚生省は迅速!に「接種見合わせ」を指示したのでし
た。調査中であるにもかかわらず、あたかもワクチン禍とする伝え方はメディアの常でありやむを得ないのかもしれ
ませんが、何故、ポリオワクチンを実施しているのか、それが果たしている役割、このワクチンが接種すらできない
開発途上国などで、未だに多くの患者さんが発生している事実、そして、これだけ多くの子どもたちが毎年受け続
けてきてほとんど副作用がなかったにもかかわらず、今回もし関連があったとするなら、何故なのかをきちんとした
解明を促し、再開への努力を訴えないのか、もしこのまま中止が続いた場合、どういうことが予測されるか、わかり
やすい解説を、同時に報道して欲しいし、監督官庁はそれを指導する義務があると思いました。さらに言えば、
1961年我が国が1300万人分のポリオ生ワクチンの緊急輸入に踏みきったこと、それも旧ソ連から。
そしてソ連側は不眠不休で増産体制を敷いてくれたこと、時の古井厚相は被害を最小限度に止めるため、
平常時においては守らなければならない一線を越えて最低限度の安全検査のうえ希望する対象者に対して充分に
供給出来るように最後的な非常対策を行うこと決意し「責任はすぺて私にある」と語り、大流行を阻止した逸話など
も紹介して欲しいと思いました。いたずらに不安をあおるのが報道目的ではないはず。
この春のBCG接種法の変更に際しても、わずか6ヶ月間の猶予しかない接種期間に対し我々多くの関係者が一斉
に抗議し、なんとか12ヶ月まで延長を勝ち得たわけですが、続いて日本脳炎ワクチンの「積極的勧奨の差し控え」
騒動が起きました。ポリオの際とまったく同じ構図であり、さらにお役所は完全に保身にまわりました。
副反応で訴えられるのを恐れ、接種中止で日本脳炎が万が一増えてきた際の責任も同時に逃れようという
意図しか見えない世にも奇妙な通達です。
そして、日本の小児科医、感染症対策に奔走している方々の悲願であったMR二回接種施行にいたっては、
予想だにしなかった一片の省令によって現場は大きな混乱に陥れられました。その内容に関しては、会員諸氏
すでにご承知のことですからあらためて述べませんが、法改正に伴う避けうることのできるはずの経過措置が
一顧だにされず、一部の子どもたちにとって受難ともいうべき不公平、不平等を強いられたのです。
思い返せば、1975年のDPTでの判断ミス、さらに、風しんワクチンが中学校女児に行われていた頃、現行法へ
転換された際におきた瑕疵が繰り返されたと言えます。
そもそも予防接種の歴史を考えてみるに、種痘が先駆けとして根絶という大きな成果を上げました。
天然痘は、6世紀前後仏教伝来とともに大陸方面から伝搬されたと考えられ以降度重なる大流行により
国家を危うくする事態が続いたわけです。種痘法の伝来に関してはさまざまなルートが考えられています
が、択捉島番人小頭中川五郎治がロシア経由で伝えたものが最初とされてきました(1824)。
そのさらに10年も早く安芸の久蔵なる人物がやはりロシア経由で日本に伝えています。
久蔵は、15歳の頃、宇和島市の等覚寺で修行をしています。1798年、ジェンナーが種痘法を発見し
てわずか10年あまり後のことであり、世界がいかにこの手法を迅速に伝えていったかを示しています。
話が横道にそれましたが、当時、疫病の流行は国家にとって危機であり、医療関係者は命がけで痘苗を
得ようとしたわけです。私は再興、新興感染症への不安も含めグローバル化された今日の状況はこうした
過去とさして変わっていないと考えています。歴史は予想できることより予測できない事態によってかえ
られてきたそうですが、ある意味で国のレベルの総合指標といわれる乳幼児死亡率を最低レベルで維持す
ることは、予測しうることに対処しておくことが求められます。
子どもたちは、長い歴史のなかで常に虐げられてきました。予防接種行政においては、我々現場の医療
関係者はもとより行政のトップがいかなる犠牲を払っても最善を尽くす覚悟が必要なのではないでしょう
か。(10/4/05記)